太田哲也氏がクラシケにこだわるワケ Vol.01
クラシケ
2017.08.19
シルバーのディーノと聞いて、ローリング・ストーンズのキース・リチャーズと共に太田哲也氏(1959年11月6日生まれ)のことが頭に思い浮かんだ方は相当なフェラーリ通だ。ディーノと日本一のフェラーリ遣いと呼ばれた太田氏の付き合いは長く、1998年に美しいスタイルを誇るシルバーのディーノ246GTがプロフェッショナル・レーシングドライバーのもとへやってきた。
太田氏が手にしたディーノ246GTはフェラーリ美術館に飾られていた個体で、もともとはアメリカのポピュラー・ソングである「大きな古時計」を和訳したことで知られる保富康午氏が愛用していたクルマだった。縁あって、そのようなエピソードを有したディーノ246GTを譲り受けることができたわけだが、ご存知の方も多いように太田氏は1998年5月3日に富士スピードウェイで開催された全日本GT選手権第2戦で多重事故に巻き込まれ、瀕死の重傷を負ってしまった。
再起不能といわれながら、23回の手術と壮絶なリハビリを繰り返し、アクシデントから2年半後にサーキットへ復帰。その後、社会復帰を果たすことになったが、その間、ディーノ246GTは放置されたままだった。雨ざらしだった時期もあり、ディーノ246GTは内外装だけでなく機関系もコンディションを落としてしまい、フェラーリ美術館に飾られていた個体がわずか数年で不動車になってしまった。
「自分は何度も手術して、言ってみれば身体をレストアしてここまで来た。だから今度はディーノ246GTを治療してあげたい」
社会復帰を果たし、仕事が軌道に乗った頃、太田氏はそんな風に考えるようになった。そして、ディーノ246GTに対する熱き想いを行動に移し、レストアに着手。結果的に10年近くの年月を費やすことになったが、まずボディを完成させ、その後、20年近く火を入れなかったエンジンもしっかりレストアした。
これから美しく仕上がった車体にエンジンを載せることになるが、そのようなタイミングで「フェラーリをはじめとする世界中の自動車メーカーがヒストリックカーに注目している。その動きがブランドを強固なものにし、さらには自動車文化を創り上げているようだ。最新のクルマと距離をとりたいと思っているユーザーが次第に旧いクルマに興味を持つようになった印象を受けるが、日本でいざレストアをしようと思っても、どこに頼めばいいのか分からない。そのような状況の中でレストア事業を一般化し、自分なりの取り組みでユーザーの不安を払拭できないものか」と思うようになり、自らのカスタムブランドであるTEZZOの一部門としてクラシケ事業部を設けることにした。
太田氏のそうした視点に共感したのが日本政府で、TEZZOの『ものづくり技術の伝承につながる、名車、旧車のオーバーホール、レストア事業の展開』が中小企業庁が設定する『ものづくり補助金』の対象として認定されたのだ。
「単に愛車をレストアするのではない。レストア業界全体を盛り上げるような活動をしたい」と考えている太田氏にとって、象徴的存在であるディーノ246GTは、これまで以上に大切なパートナーとなった。
文:高桑秀典
ライター高桑のクラシケ不定期連載ブログhttp://www.tezzo.jp/wp/category/classiche/